2017年8月6日日曜日

『生命はどこから来たか』


『生命はどこから来たか』 エピローグ
フレッド・ホイル著
大島泰郎(東京工業大学名誉教授)訳
この本を通して、地球という惑星と地球上の全ての生物は、宇宙的な存在であることをみてきた。
この点から考えると、彗星は解決の糸口となる。今日でも、地球は彗星のかけらを拾い続けており、
その量は一日に何百トンにものぼる。当然彗星本体も地球に衝突することがあるだろう。その衝突の頻度と結果について考えてみたいと思う。
(※ エピローグの最初の部分は、45億年前から6500万年前くらいの間の地球の地質学的なはじまりの時代から古代までのことが長く書かれていますが、そこは割愛します。
今回は、約1万3000年前からの比較的、近代の話に入ってからの部分を抜粋します。)
ツングースカ型の爆発は過去13000年ほどのあいだに時折起こったに違いない。
この時期の最初の頃は、元の彗星の分裂が激しく起こっていただろう。
もしツングースカ爆発を起こした彗星の破片が元の巨大彗星から分裂したものであるならば、
今日最も明るい流星群である、牡牛座-牡羊座流星群の前に、六月と十一月の年二回、われわれの祖先がこの流星群を経験したときは、
現在のように何の影響もないことはなかっただろう。
実際、彗星がまき散らした塵が太陽光を錯乱するために、何年間も黄道帯全体が輝いたのが見られただろう。
彗星の分裂や、彗星が長く美しい尾を引く姿は、古代の空ではごく普通に見られたことに違いない。
神話、伝説、宗教がこのような経験を基にしていることは間違いない。
そしてその経験は、地球上あちこちに分布した遊牧民の共通した経験であった。
実際、彗星の分裂は神々が争った様子として神話のなかに自然に取り込まれただろう。
現在まで残ったほとんどの宗教にも、それぞれ別々の場所にもかかわらず、共通性が見られるものである。
最初の氷河期が終わってからしばらくの間は、人類は農作を始めていなかったが、
その後狩猟生活から抜け出し始めた。
そして定住を始めた頃、ツングースカや、もっと強力な宇宙からの爆撃が頻繁に起こったことだろう。
人類の進歩のなかで、彗星が関与したおそらく最初の重要な段階は、金属の精錬であろう。
その後、金属によって武器、道具、機器が作られるようになったことを考えると、これは大発明で、人類繁栄の分岐点だったといえよう。
(中略)
氷河期が終わった紀元前8000年(10000年前)頃からの地球の気温の変遷を調べてみると、
約1000年周期の変動があることがわかる。
気温は三~六度Fの間で変動している。
地球だけ考えていてこのパターンを説明するのは難しいが、彗星の衝突を考えるときれいに説明できる。
地球上空もしくは地球の近くでバラバラになった彗星は成層圏に塵をまき散らし、
太陽光線を錯乱するようになる。
その結果、太陽光線の届く量が減少し地表温度が下がる。
計算によると温度を50度F(※ 摂氏で約10度)下げるために必要な塵の量は現在の1000倍も必要ではなく、これは今まで述べてきた彗星の衝突を考えれば可能である。
紀元前10500年の彗星の衝突後の温度の低下は、ちょうど氷河期が終わる頃の温度の上昇段階にあったため、小さいものだった。
これまで述べてきたことを認めるならば、旧約聖書の数多くの奇妙な記述部分も、事実に基づいたものであるのかもしれない。
神の怒りによるとされる大洪水、ソドムとゴモラへの火の雨、飢饉などはツングースカおよびもっと強力な爆発の影響として説明できるだろう。
火事、津波、洪水、作物に影響する気候変動、地震でさえも彗星の衝突によって起こった実際の出来事であったと考えることができる。
超自然的な神秘的な説明は必要ないのである。
また、ヨシュア(古代イスラエルの指導者でモーセの後継者)が太陽がずっと空にあったと言ったときに見たものは何だったのかも理解できるだろう。
それは一九〇八年六月にツングースカで見られた巨大な火球と同じものであっただろう。
古代都市エリコをヨシュアに率いられたユダヤ人が攻撃したときに壁が崩壊したのは、
今までラッパの音によるものと信じられていたが、天体の破片がエリコの近くで爆発したための爆風によるものであった。
今、衝突によって死ぬ範囲を五〇〇〇平方キロメートルとすれば、
地球の全表面積は一億平方キロメートルなので、一回の爆発で死ぬ確率は二万分の一となる。
一年に一または二回の割合で衝突があるとすれば、現在の交通事故と同じほどの確率となる。
しかし彗星の群と遭遇する頃の、一年間に一〇〇回もの衝突があるとすれば、三〇年間に当たる確率は一五パーセントとかなり高くなる。
もっとも古代では、他の理由で死ぬ確率も同じくらいあったであろう。
さらに重要な結果は、三つの人口中心地帯のうち一つは完全に破壊されるであろということである。
生き残った人は一〇〇キロメートル以上遠くから、空から火の雨が降るのを見ただろう。
そう考えると、図4のような中世の描写もよく理解できよう。
過去一万年にわたる人類の歴史における文明の盛衰は、
周期的またはほぼ周期的な彗星の衝突で説明できるだろう。
衰退はほんの短期間で劇的に起きるが、繁栄は長く続く。
悪い時代は厳格な哲学や宗教が興り、途中の穏やかな時代になってそれらは円くなる。
このことは西洋では事実であったが、東洋では後に述べるようにいささか異なっていた。

In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/296073243.html




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